松江は京都・金沢と並び日本有数の菓子処と呼ばれる程、人々の生活とお茶・お菓子が深く結びついています。
松江藩第七代藩主、松平治郷(はるさと)公(1751年~1818年)は不昧(ふまい)の号で知られる大名茶人。不昧流を興し、茶道具の蒐集や名器の研究を進め「古今名物類聚」を編修するなど、今日の松江の文化に多大な足跡を残されました。
優れた審美眼はまた多くの銘菓を生み、今日まで作り伝えられております。
一力堂は江戸・宝暦年間(1751年~1764年)創業、初代の三津屋作兵衛は松江藩の御用達を勤め、「松平不昧伝」にも「公の好める菓子は種々ありき。 松江にては三津屋作兵衛、江戸にては本所 二つ目越後屋 ※ といふもの、公の指命(原文)を受けて之を製したりといふ。」と記されており、歴代藩主のご用命を賜った御菓子座を勤めました。明治に入り6代目三津屋作兵衛は大阪での修行から戻ると幼名「万太郎」の「万」の字を元に店名を「一力堂」に改め、今日に至るまで約260年の歴史を数えております。
※現「越後屋若狭」 東京都墨田区千歳
往時の歴史を偲ぶ品として一力堂には、松江藩の役人、福井長兵衛が江戸で記した「菓子方書」=1700年代後半ごろ=(下写真1左)、嘉永元年(1846年)に記された「御菓子直伝帳」(下写真1右)、「沖の月」の木型=現在の「姫小袖」原型=・安政2年製(写真2)、「松江藩御用達箱」安政年間製(写真3)また時代が下って明治年間「ハーンの羊羹」復刻の手本となった明治15年の「御菓子伝来帳」(写真4)などが残されております。